らしく。

作詞をしています。

フリーター

フリーターになった。

 

こんな時代になんて贅沢なことか知れないが、正社員の身分を捨てることに決めた。

しばらくは失業保険を貰いながら生きることになると思う。その期間が終わったらどうしよう。

はっきり言うと何も決まっていない。会社という枠で仕事をするとすぐに自分の姿に絶望する癖がついているので、多分会社勤めはしばらくしない。したくなったらしようかな、と思っている。見通しが甘すぎて我が事ながら笑ってしまう。

 

当然辞めるとなれば、色んな人にその後を聞かれた。次は決まってるの?と。

決まってないです!しばらくフラフラします!

どの人にも満面の笑みで伝えると、大人たちは一様に微妙な顔で曖昧に笑っていた。そっか、若いしね、自由にできるよね。続く言葉はみんな大体同じで、こいつ人生を舐めていると思ったのかもしれない。まあ実際のところ舐めている。

 

だけど、大人たちに言ったって聞いてくれると思えなかったのだ。

「作詞家になりたい」だの「言葉でお金を稼ぐ人になりたい」だの。

だって彼らは社会人の枠で生きてきていて、そこからすると枠外だ。枠外は嫌われやすい。真面目に親切に、人生設計について伝える必要は無いのだ。

 

今がチャンスだと思ったのだ。細かくは書けない周囲の環境や自分の心境をマルっと鑑みて、社会人として生きていく選択肢を捨てるチャンスは今しかないと思った。多分あと3年すれば、もっと大人になってしまう。微妙な顔で曖昧に笑っていた大人と同じになってしまう。

それだけは嫌だった。貧乏でも、買いたいものが中々買えなくても、それでも、自分の好きなものに嘘をつきたくない。

言葉が好きだ。作詞が、エッセイが好きだ。自分の気持ちを紙に書いたり、キーボードを叩いたり、そうやって紡がれる文字の数々がたまらなく愛おしい。

この瞬間だけ、自分が自分だと思える。

だったらもう、そうやって生きるしかないんだ、多分。

 

悲しいことに、作詞していること、ポエムを書いて投稿していることを話すことについて未だに抵抗がある。もう10年以上前、友人たちに笑われたことが忘れられない。心も体も育ったはずなのに、嫌われることはやっぱり怖いのだ。

こんなに好きなのに言葉にできない。宣言できない。本当は、もっと自慢したいのだ。

 

じゃあ、結果を引き連れるしかない。誰にもなんにも言わなくても、こうやって自分を表現して、その副産物としてお金をもらえているのだと、誰にも文句をつけさせないように、結果を示すほかない。

 

極端だろうか。よく友人に突拍子もなさを驚かれるが、自分ではごく自然な思考回路なのでよくわからない。行動するしか、認められる手段を知らないのだ。

認められたい。世界に、見つけられたい。見つけられた結果どうしようもなくちっぽけだったとしても、ちっぽけな自分で出せる限りの声をあげていきたいと、飽きもせず思うのだ。

 

フリーターになった。正確に言うと、作詞家として生きていく準備を始めた。

音に乗せるのが恥ずかしいくらいのあの日の夢を、いい加減叶えるために。