らしく。

作詞をしています。

ブログ

文章を書くことが好きだ。

だからこのブログを書いている。インスタにアップしているポエムも作詞も根本の原動力は同じだが、始めた順番的には作詞→ブログ(別のところで少し書いていた)→ポエム だ。

最近はそこに加えて、日本語が好きだと思うようになった。その表現の豊富さをとても扱いきれてはいないけれど、日本語だから文章を書きたいと思う。英語も少し齧っているが、自分で好きだなと思える文章を書けるレベルに至っていない。


たまに、偉いねと言われる。何か一つのことを続けることは偉いのだそうだ。言わんとすることはよく分かるし、他の人が何かを続けていたら同じことをきっと言うだろう。

ただことブログに関しては、褒められれば褒められる程萎縮してしまう。

前述のように原動力は「好き」だ。要するに、かなり利己的だ。また、ブログ自体は投稿を定期的に初めてから数ヶ月しか経っていない。これから環境が変われば、何年も投稿できない事があるかもしれない。

褒められるほど続けていないし続ける確証もない。きらびやかな賞賛の言葉は、もっと別の人に向けて欲しいと思ってしまう。


話は変わるが、作詞はもう10年以上している。

忘れることも、出来ないことも、逃げたこともあったけれど、それでも続けていた。どうしようもなく好きなのだ。自分の言葉で世界を編む事に魅了されてしまった。

どちらかというと、褒めるならこっちを褒めてくれ、と思わなくはない。

ただ、作詞をしていることを知っている人が少ない上に、公開している数も少ない。(若気の至りと破り捨てたものも多い)

必然、褒められることはない。


ブログは褒められなくても気にならないが、作詞は褒められたい。違いは、続ける意思だと思う。

別にブログに飽きている訳では無いが、将来的に胸を張って名乗りたいのはエッセーライターではなく作詞家なので、雨が降ろうが槍が降ろうが、脳みそが壊れるまで自分の中の言葉を振り絞ってでも、詩を書いてやる、という意志が強い。

同じ意思の強さでブログを書けるか聞かれるとあまり自信はない。それこそ、飽きたら書かなくなる気もする。


フリーランス大戦国時代に生まれ落ちたもので、なんの特徴もない文章だけでお足を頂けるほど甘くはない。(時代が違っても同じことだと思うが)

ただ、好きだから続けられる。そこに生きていくために必要なお金がくっつけば嬉しい。

理由は何事も案外シンプルだ。

文章を書くことが、日本語が、言葉を紡ぐことが好きだから、多分、また次もブログを書く。