作詞家のオーディションに応募した。
結果が届くまでまだ少し時間がある。不安でしかない。
オーディションに落選することそのものではなく、他者からみて客観的に、才能がないと認定されることが怖い。
また、落選すること自体ももちろん怖い。ただでさえ漠然としている将来がより一層目標を見失うからだ。さっさと諦めてほかで生きて行けと言われても、なかなか難しいものだと思う。
ここ二週間ほど、ずっとその不安に苛まれている。将来が見えない不安、良くも悪くもこれからが決まってしまう不安、自分の書く詩について、第三者からの評価が付く不安。
その中でも特に「ダメだったらどうしよう」は大きい。世知辛い話だが、家賃が払えなくなってしまう。せっかく提出した開業届を引っ込めて、もうちょっと安定した職業に就かないといけないかもしれない。
そうやってグルグルした渦の中で、もしダメだったら、作詞をしなくなるのだろうか。と自問自答した。答えはすぐに出た。ノーだ。
今、今回のオーディションでチャンスがなくとも、何も変わらず書き続けるのだ。作詞が好きだから。
なぜ作詞家になりたいのか、と聞かれることもある。安定した仕事に就くことが出来る学歴や社会人のスキルを持ち合わせている以上、社会人として仕事をしながら、趣味として書くことは何一つ問題ない。その中で作詞家になりたい理由は単純だ。自己顕示欲に他ならない。
綴る言葉を、その繰り返しで出来る詩を、詩が生む世界と想いを、聞いてほしいのだ。春の日差しが柔らかで暖かなこと、夏の空が疑いようもなく透き通って美しいこと、秋の樹々が色とりどりに少し寂しいこと、冬の星空で点つなぎをすることの楽しさ。
なんてことないそれら全てが、ひどく愛しくて、抱きしめたくなるほど大切だ。
そのことを書いた詩を、どうか少しでも多くの人に見てほしい。
もう一つ、劣等感。
詩を書くことも、少しポエミーな発言をすることも、昔から幾度となくからかわれてきた。自分の二面性を受け入れられるようになったのは最近だが、それまではなかなかどうして受け止めきれず、何度も何度も、書いた詩を破って捨てた。
だからこそ、これで生計を立てたいのだ。どれだけからかわれても、バカにされても。うるせぇ、これで生きてるんだよ。そういって突っぱねられる、その自信が欲しい。
自分の考えを整理してもまとめても、不安なことには変わりない。だからこうして、久しぶりにブログを書いた(下書きにはいくつか保存しているのだが、思えば全く公開していない)
一か月後、私は泣いているだろうか、笑っているだろうか。