らしく。

作詞をしています。

有意義

昨日、「もっと有意義な人生にしないと」と言われた。

そう言ってのけた人は、作詞家を目指していることを知らない。ただ一生懸命仕事をすることが嫌で会社を辞めた、Z世代らしい放蕩人間とでも思われているのだと思う。

 

作詞家目指してるんです、コンペ応募したり、まだ全然アマチュアだけど作品作って世に出したり、できるだけ毎日SNS投稿したり、やれること考えながら、どうにかこうにか生きてます。家賃も光熱費も毎月支払って、保険や年金も収めて、時々派遣とかでまとまった収入をもらいながら、一人で暮らしてます。親の支援は有難く受け取ってるし多分すねかじりに見えてると思うけど、会社で働いて心を壊した時より、今がずっと心身ともに健やかで穏やかで、幸せだと感じます。

 

なんて言い返すことはできず、毎日生きてるからそれでいい。とだけ優しく反論した。議論したいとも思わなかった。

 

だって傷ついたから。悲しかったから。

「有意義な人生にしないと」って、それはつまり、言われた側の人生を無意味だと言っていることに近い。その言葉の無神経さや鋭さに、おそらく発言した当人は気づいていない。

全部ひっくるめて悲しかった。自分の考えや現状の立ち位置が理解を得難いものだとは十分知っているけれど、悔しかった。こんな時でも、自分の夢を胸張って言うことに怖がっている自分が、悔しかった。

 

その一言は何時間もかけてボディーブローみたいにじわじわ染み渡って、家に帰る途中たまらず蹲った。このまま消えたいと久しぶりに思った。梅雨らしからぬ晴れた夜空に、雨くらい降っててくれよと呪った。

家に帰って、大好きな音楽を聴くためにDVDを再生した。少し前みたいに深海に沈もうとする心をつかむのに必死で、家のあちこちを散らかしながらDVDを探して、ぐちゃぐちゃで薄暗い部屋でDVDを見ながら泣いた。たくさん、たくさん泣いた。拭う暇もないほどに泣くのは、どれくらいぶりだっただろうか。

 

見とけよ、あなたが意義のないと言っていた私の人生を使って、あなたが終ぞ書けない言葉を、私はたくさん書いてやるからな。

 

その決意と一緒に、翌朝、用事の後カフェで作詞のノートを開いた。夜更かしと泣きすぎのせいで瞼が半分くらいしか開かなくて、眠たくて、集中できなくて、結局書けなかった。コーヒーを一杯飲んだだけのあの20分を、きっとあなたは有意義でないと思うのだろう。いいんだ、今月は六本の詩を書くことが目標で、その内の二本、今週書くって決めてるから。言葉は絶対に湧いてくる。人間である限り、言葉で伝える気持ちを尊いと感じている限り。書きたいと、思う限り。

 

あなたに言われた言葉は、あなたが忘れようとこの先十年、二十年、忘れてなんかやらない。

 

腫れた瞼はまるで殴られたみたいで、こんなにも不細工になる事あるのかと笑ってしまうほどだった。半日放置したあと、冷感のアイマスクを付けたら収まった。

アイマスクはまだいくつかある。もう泣いたってなにも困らない。怖くない。

 

もう、泣くもんか。