らしく。

作詞をしています。

終点

仕事の都合でよく乗る電車は、終点まで行く。

そこからどこにも接続しない、本当に終点だ。乗り換えればまた別の所へは行けるけど、正直汎用性の低い路線なので乗り換える人は限られる。


この駅を降りる時のアナウンスがなんだか大好きなのだ。

【この電車は、この駅まで。どちらへも参りません。】


疲れから来る微睡みも、ぼんやり外を眺めていた夢見心地も、仕事のことで埋まっていた脳内も、一度フッ、と呼び覚まされる。

ここから先は、行っては行けない場所なんだと。

実際、アナウンスの続きは

【この電車は車庫へ入ります。】

なので、一般人は行けない場所だ。

その事を、【どちらへも参りません】と表現することが酷く美しいと思った。どこにも、行けないのだ。


祖父の体調が思わしくない。

数年前から患っていたが、急に、ほんとうに突然ガクンと悪くなった。身近で見ていた母も、近所の方も驚いていた。何も知らなかった身分として、驚くよりも戸惑った。

喪服持ってたっけ。


入院する前に会わないともう会えないかもしれないと言われて、2年間ずっと我慢していたのが馬鹿らしいほど早急に祖父に会いに行った。

もう自分では何も出来ない祖父は、それでも私を瞳に映すと一筋、涙を零した。

仕事の話、一人で祖父の家に来たことがなかったから道に迷った話、会いに来れなかった謝罪。そんなことを一方的に話している間、前日は丸一日眠りこけていたという祖父は、ずっと目を開けてこっちを見てくれていた。

緑内障で濁った白目で、それでも、残っている元の色の黒目で、見つめていた。


病気のため体が痛む祖父は、緩和ケアの病棟に入院するのだと言う。


祖父の終着駅はもう見えているんだろうな、と思う。あとはもう、その辿り着く場所まで、どのくらい時間をかけて、どうやって到着するかだろう。


祖父の魂は、どこへ行くのだろうか。

あるいは、どこへも行かないのだろうか。


あなたの行く道はここまでですと目の前に示された時、せめて美しく、どちらへも参りませんと伝えられる人になりたい。


枕元から色んな人に話しかけられる祖父を見て、ぼんやりそんなことを思った。