節目
このブログを開設して1年が経ったらしい。
全く触れられていない時期(最近とか)も多く、なんとなくの季節すら覚えていなかった。
10月の終わり頃に何かを始めることが多い。日記とか、このブログとか。誕生日近辺なので、自分にとっての節目にしているんだろう。
例に漏れず節目を作ろうとしている。開業届を書いた。来週提出を予定している。
正しい道筋を歩んでいるかわからないし、そもそも自分の歩んでいる中に正解も不正解もあるのか微妙だ。
開業届は、コンビニで40円で印刷した。
40円
40円で、肩書きを買ったようなものに思える。ただのよく分からない人間から、執筆業をしているフリーランサーへ。
買った肩書きがハリボテであってはいけないのだけれど、今はまだ中身がないなと思う。当たり前だ。
自分の癖のひとつだ。外枠をカチンと固めてから、せっせと中身を作って吟味して詰め込む。要するに形から入る質なのだ。
今はまず生きていく手立てとして、コピーライターの勉強を始めた。それさえも最適解かはわからない。
分からない事だらけだ。頭の中を不安とクエスチョンマークで埋めつくしながら、止まることが怖くて恐る恐る歩いている。
とりあえず、一年。
一年、生きていこう。
ミックスジュース
さて、関西人である。
文章を書く時は標準語を意識しているし、投稿でプライベートを見せるのがあまり好きではないので気づかれないことが多いが、実は関西人だ。生まれてから18年、関西で過ごした。関西弁ネイティブである。
地方出身の場合、どこの土地でも自慢のひとつに「食べ物」を挙げる事があると思う。四季があり南北に長い日本らしくて好きだ。
伝統料理とは言えないと思うのだが、大阪には「ミックスジュース」がある。去年のスタバの47都道府県フラペチーノも、確か大阪はミックスジュースだった。フルーツの優しい甘さとサッパリした飲み口が特徴で、もちろん大好きだ。喫茶店などで頼むと大体上の方が泡立った状態で出てくる所も好き。
少し話は変わるが、父は未だに私を子供扱いする。親にとって子はいくつになっても子、ということなのだろうが、それにしても時々笑える程の子供扱いをしてくる。
実例のひとつに言葉遣いがある。例えばものを捨てる時、父は「これポイして」とよく言う。まだいい。「これもうバイバイして」と言う時もある。5歳児相手にしているのだろうか。
話を戻す、ミックスジュースだ。
父は必ず「みっくちゅじゅーちゅ」と呼ぶ。(父はぼちぼち還暦だ)
実際、サンガリアの商品に「みっくちゅじゅーちゅ」は存在している。それ自体馴染み深いものなので、父の呼称も最近まであまり気に止めていなかった。だが、父はサンガリアの商品でなくても、「みっくちゅじゅーちゅ」と呼ぶ。必ず呼ぶ。
ちなみに母もそう呼ぶ。母は父よりももっと私を子供扱いするので、何も疑問を抱いたことはなかった。
試しに姉に聞いてみた。「ミックスジュース」と記された瓶の画像を送り、これなんて呼ぶ?と聞いてみた。「みっくちゅじゅーちゅ」と返ってきた。
そして振り返ると、自身もそう呼んでいたことに気づいた。洗脳は恐ろしい。
果たしてこれは我が家のみの習慣なのだろうか。
同じく関西で生まれ育った友人に統計を取るには、背景が些か気恥ずかしくて後ろ向きだ。
気付いていないだけで、個々の家庭の独自ルールはたくさん存在するのだろう。我が家はみっくちゅじゅーちゅの他、誰かがトイレに入っている時に家を出る際、必ずトイレのドアをノックをしてから出かけるというものもある。(これは家の間取り上、トイレの前を必ず通って家を出ること、扉を開くとぶつかる可能性が高いことが背景にある)
最近、結婚について聞かれることが増えた。それが自然と話題に上がる年齢になったし、実際学生時代の友人たちがチラホラ結婚し始めている。
きっと我が家のルールと伴侶のルールを持ち寄り、譲れないところと譲れるところを擦り合わせるのだろう。洗濯の頻度や入浴のタイミング、正月の過ごし方、食卓の準備の仕方など。
私は何を無意識に守って、何を新しく受け入れるのだろうか。
少なくともみっくちゅじゅーちゅは、無意識に守って呼び続けるのだと思う。
アマチュアとプロ
「書ける」時と「書けない」時がある。
スランプなんていう高尚なものでは決してなく、単なる波だ。その波を乗りこなせていないだけ。それこそアマチュアたる所以なのだと思うが、実際その差が激しい。
そもそも、「書ける」時は大体冒頭のこのくらいの文章が頭に浮かぶ。浮かんだものをタイピングなりノートに書きだすなりしてるうちに続きがどこからともなくやってきて、何かが完成する。
書けるときは自分でも引くくらいなんだって書ける。ブログも止まることなく書き上げることができるし、作詞も自分で気に入るフレーズがするする出てくる。書きたいことがとめどなくて時間が足りないくらいだ。
書けない時はどうなのだろうか。
先日、投稿する形のエッセイを探していた。書けない気持ちのまま日々を怠惰に過ごしている感覚が強く焦ったのだ。書けそうな話題のエッセイをいくつかピックアップして、要件を確認してWordファイルを開く。
書けなかった。
100文字も書かないうちに、なんだか違う、伝えたいことはこうじゃない、と頭を振ってdeleteを連打する。数回繰り返して、パソコンを閉じた。はい、無理です。
書けない時の要素はいくつか判明している。
単純な忙しさが一番の要因だ。時間や精神的な余裕がないと、自分の中から出てくるのは言葉じゃなくて単語になる。あー、うー、と唸って目の前のことをこなしている間に日々が過ぎ去っていく。光陰矢の如しってこういうことなんだろう。
もう一つ、これは先日の書けない時に気付いたのだが、他人に気を使っている時はまあ驚くほど書けない。多分方言だが、「気にしぃ」な性格である。文章を書きながら、これは誰かを傷つけないか、特定の誰かを無意識に非難していないか、何度も気にしてしまう。
気にしながら書いた文章は分厚い壁の向こうに向かって書いているようなものだ。丸裸とは程遠く、自分も他人も辛くならないよう、壁を挟んで発信する。壁は押しても押しても動く気配がなくて、そのうち押すのに疲れてへたり込んでしまう。
そうして、書けなくなる。
先日失業保険の説明を聞いてきた。
通り一辺倒な説明と、どんな方法で伝えられても複雑な仕組み。事前に窓口で聞かされていたのと内容もほとんど変わらなかった。30分と聞いていたのに45分かかり、色んな意味でぐったりした。だからお役所は嫌いだよと心の中で舌打ちをした。
結論から言うと、3か月で失業保険の支給が終わる。それまでに進退を決めろということだ。作詞家としての道を歩むか、才能のなさに絶望して会社で働く人に戻るか。長年の夢を3か月で選び取れという。自分が凡人だと受け入れるのに、3か月はあまりに短くないだろうか。
みんなと同じから外れる勇気のなかった人間だ。馬鹿にされることを、仲間外れを怖がって、作詞のことはずっとごく一部以外に話してこなかった。悲しいくらいに、この3か月を受け止めるしか選択肢を持っていない。
ずっと臆病だった。だから、プロになりたかった。
作詞やブログが普段の自分とかけ離れていたとしても、プロとしてそれを生業にし、お金を稼げば、胸を張れると思ったのだ。これが好きだと。仕事として認められていれば誰も馬鹿にはしないと思うのだ。
いつかの友人も、五年前の恋人も、親も、顔の知らない誰かも。
プロになるときっと、色んな事に気を使って文章を書くことになるのだろう。大嫌いな大人の事情に挟まれて泣きながら言葉をひねり出す日々があるかもしれない。
「書けない」時に「書けない」と主張できる。そんなプロになれる日は、いつか来るのだろうか。
皮を剥いで
人には加害性がある。発露の仕方はそれぞれだが、言葉や態度、または暴力で示されることがある。
生きているとその事実を目の前に突き付けられる機会があるのだが、その度に言葉にできない悲しさや恐怖に襲われる。一体全体どうして、他者にそこまで加害しようと思えるのだろうか。
先日、暴力で加害性を発露している人に久しぶりに出会った。
用事があって出かけた先で、下りのエスカレーターに乗ろうとした。大きくて長いエスカレーターは上り・下りがそれぞれ三本ずつほどある。真ん中の下りエスカレーターに乗った時、隣の下りエスカレーターに乗った人が蹴り飛ばされた。
何かの冗談みたいに、蹴り飛ばされたのだ。
蹴られた人はかなり危ない体制で踏みとどまり、勢いよく振り向いた。その動きに釣られて振り向くと、別の人がエスカレーターの入り口手前に立っていた。足を降ろす動作も見えて、もしかしてこの人が蹴ったのか、と気づいた。周りの人も同じように振り向いたり二人を何度も見ていて、ほんの数秒間で一気に緊張感が周囲を埋め尽くした。
そのあとはもう、なんというかご想像通りだ。蹴られた側が怒声を上げてエスカレーターを逆走して駆けあがると同時、蹴った側が踵を返して逃げ出す。少し見守っていたが、群衆の中を走るのなら先に走る方が不利だ。蹴った側が蹴られた側に捕まえられていた。多分。
なにせこちらも下りエスカレーターに乗った矢先に ”蹴って蹴られて振り向いて怒鳴って走り出して” が発生したので、最後までは見守れなかったのだ。別に見守りたくもないのだが。
数日前に起きた出来事なので、文章に起こすだけなら平気だ。ただ、目の前で起こった瞬間はひどいパニックだった。冷静を取り戻すために銀行に行こうとして、その日はカードを持っていないことにATMの目の前で気づいた。せめて美味しい夕ご飯でも買うか、と思って総菜売り場に足を向けても、何も食べたいと思えないほど思考が散らかって息がしにくかった。早々に人混みから逃げ出した。電車に乗っても蹴られた人・蹴った人の顔がフラッシュバックを続けて、貧血を起こしてしまった。
怖かった。目の前で、人が人に明らかな暴力を振るった。何かが少しでもずれていれば目の前で誰かが亡くなっていたかもしれない。そのことがただ怖かった。
実は蹴られた人の数段前に、全く無関係と思われる人が一人いたのだ。つまり蹴られた人が少しでもバランスを崩していたら、全く無関係なその人も巻き込まれて何かけがをしていたかもしれない。運が悪ければ、もしかしたら。その事実がひたすらに怖かったし、悲しかった。
どうして人は人を加害するのだろう。一体どういう思考回路で、あいつを蹴っ飛ばしてやろ・あのむかつく奴を実名を出して糾弾してやろう、そう思うのだろう。
人間誰しも、敵意や怒りが沸き起こることはもちろんある。許せない怒りに震えたり、顔を見るだけで嫌な気持ちになってしまう人だって、もちろんいる。そこまではわかるのだ。
加害している人や言葉を見ると、むき出しの憎悪や殺意に触れる感覚になる。
痛い。自分に向けられたらもっと痛いのだけど、ほかの人に向けられていたって当たり前に痛い。突き刺さる痛みで泣いてしまうこともある。どうしてこんな痛みを人に向けられるのか、わからなくて混乱する。あなたが一体何をされたというのだ。
以前、むき出しの悪意に触れて泣きじゃくる日々を送ったことがある。ドロドロして真っ黒のそれは全部を飲み込んで、善意も幸福も消し去ってしまうのではとおびえた。そんなに恐ろしい物をむき出しにして他者に見せる人がいることに混乱した。
ある意味、あれも加害だった。悪意を持っていた人間に加害の意思はなくとも、悪意をむき出しにしたまま放置すること自体が加害ではないだろうか。
優しく暖かな世界で生きたい。ほんの少し落ち込んだり涙することがあったとしても、刺だらけの憎悪にも、吐き気がする悪意にも、それらを投げつける加害にも、極力触れることがなく。それは自分以外のありとあらゆる人も、そうであると、嬉しいのだが。
何事も思うがまま進みはしない。
今日は天気がいいので布団を干そう。せめて眠るときくらい、暖かで優しい世界だと思えるように。
指先から伝わるもの
先日、機会があってとある催事に足を運んだ。
梅田の阪急百貨店9階、バレンタインの季節は名の知れたパティスリーがひしめく催事場は、その時期は若輩者には少し肩身の狭い空間だった。
いわゆる伝統工芸品の催事が行われていたのだ。平日の昼過ぎに足を向けたのも理由かもしれないが、少なくとも同世代らしきお客さんは見かけなかった。
そんな分不相応な場所に赴いた理由はひとつだ。以前からInstagramで拝見していた美しい工芸品を作られている方が出展していた。
漆作家の武藤久由さん。
とりあえず何も聞かずに武藤さんのECサイトを見て欲しい。Instagramでもいい。
※断っておきますがステマじゃないです。ただのファンです。
初めて作品を見た時は素直に驚いた。この器をなんと呼称すべきかわからなかった。ガラスと漆が、こんなに美しく調和するものとも思ってもみなかった。
固定観念で、ガラスは洋物、漆は和物のイメージが強くある。だからこそ、まさか混ざり合うなんて、想像もしたことがなかった。
少し話は逸れるが、私の懐は寒い。だいたい成人の日くらい寒い。要するに日本で一番寒い季節くらい寒い。早く春分を迎えたい。
武藤さんの作品を見た時、初夏の懐にしたいと本気で思った。分不相応でも背伸びしてでも、この美しさを手にしたいと思ったのだ。
Instagramでの投稿も拝見していて、やはり美しいと日に何度もため息を吐いた。そんな折、大阪に催事で来られるという。
生で見たいと疼く気持ちのまま、動ける日程をすぐに探した。
高級な食器や長持が並ぶフロアは少し怖いくらいだった。
手を触れないように指示した看板もあったし、気難しそうな職人さんらしき人が何人もいた。
そこからの詳細は若干割愛したいのだが、結論だけ言うと直接器に触れさせていただいた。ない袖は振れないのだから、お仕事やほかの方のお邪魔もできないと遠巻きに観察していたのだが、よかったら持ってみてください、と武藤さんのお言葉に甘えて触れたのだ。
その軽さに驚いた。重厚な見た目と相反する軽さで、とても扱いやすい。漆だけで形どられた部分は見ただけでわかる薄さで、口当たりの良さがそれだけで感じられる。きっとこれでお酒を飲むと美味しい。指で押さえると少し曲がるのだと教えてもらった。ただ、脆さは少しも感じない。不思議だ。
美しくて、繊細で、多彩な顔を持っていて、それでいて柔らかく暖かい。
どの器を見ても初めての体験だった。真っ赤な漆の断面が角度によって見えたり見えなかったりして、楽しくて何度もいろんな角度から眺め眇めた。中に飲み物を入れるとまた見え方が変わるという。なんてこった。
本当にいい物に触れた多幸感でいっぱいになって、催事場を後にした。
その日は一日、言葉にできない感覚で満たされていた。カラカラの心に水がようやく注がれた気分だった。
はあ、やっと潤った。
夏の空
今年は夏の空を見ていない気がする。
都会に住んでいるからか気象のせいなのかは分からないが、とにかく見ていないなと思う。
暦の上では確かに夏だし、気温や湿度を見ていても、コンビニに辛い食べ物とアイスが増えたことからも、今は夏だ。8月、お盆明け、真っ盛りだ。
けれど、空がなんだかずっと初夏だなと思う。あるいは残暑、9月末くらいの空だと思う。春と秋の間の空だ。夏は春と秋の間なのだから、それはつまり夏の空じゃないのかと言われるかもしれないのだけれど、違う。春の空と秋の空が混じっている、という意味の「間」だ。
あの、モゴモゴモゴッとした雲を見ていない。マシュマロで頑張って積み上げたタワーみたいな、天空の城が隠れていそうな、実際のところゲリラ豪雨を降らせるだけの、あの雲。
ポスターに使うアクリル絵の具を平筆でベタンと塗り広げたみたいな、彩度の高い青色に、神様がちぎった綿を重ねたみたいな立体的な白。
あの空が見たい。
アイスコーヒー、あるいはガリガリ君が世界で一番似合う背景だ。
見ていないな、と感じてここまでさみしく思うのは、偏に夏と夏の空が好きだからにほかならない。ギラギラした太陽の光を含めて、空から一番夏を感じられるのだ。
汗ばんだTシャツが張り付くのも、コンクリートの気化熱で蜃気楼のように少し揺らいだ空気も割合好きだ。冬よりもよっぽど外に出てしまう。太陽の光が痛いと、セミがうるさいと、呼ばれていると思う。たまらなくなって飛び出してしまう。
要するに、じっとしていられないのだ。
いつかの悪ガキだったころのまま、あるいはもういなくなったはずの悪ガキが急に呼び覚まされる。
そもそも、何故夏が好きなのだろう。大人になるにつれて、冬は好きだが夏が嫌いだという友人が増えた。暖かくすることは簡単でも、涼むのは工夫が必要だからかもしれない。
考えると近年は便利なグッズが増えた。学生の時は汗拭きシートや制汗スプレーが関の山だった。ハンディファンは革新的だと登場したとき思ったし、今の高校生が素直にうらやましい。あれで休み時間に涼みたかった。
体育の授業終わり、暑いからと窓を全開にして着替えていたら通りがかった先生に怒られたものだ。教室に設置されたばかりのクーラーは、先生しかリモコンを持っていなかった。
そう、そうだ。教室の窓から見る、あの空が好きだった。授業の合間に少し意識を飛ばして、ぼんやり眺める空が好きだったんだ。だから、夏の空が好きなんだ。
あの頃飲めなかったコーヒーが飲めるようになった。まさか真夏に吸うタバコがこんなに暑いとは知らなかったので、そこだけちょっと誤算かもしれない。
もう戻れない場所と固く結びついている。
だから、夏の空が好きだ。夏の空を見たい。
フリーター
フリーターになった。
こんな時代になんて贅沢なことか知れないが、正社員の身分を捨てることに決めた。
しばらくは失業保険を貰いながら生きることになると思う。その期間が終わったらどうしよう。
はっきり言うと何も決まっていない。会社という枠で仕事をするとすぐに自分の姿に絶望する癖がついているので、多分会社勤めはしばらくしない。したくなったらしようかな、と思っている。見通しが甘すぎて我が事ながら笑ってしまう。
当然辞めるとなれば、色んな人にその後を聞かれた。次は決まってるの?と。
決まってないです!しばらくフラフラします!
どの人にも満面の笑みで伝えると、大人たちは一様に微妙な顔で曖昧に笑っていた。そっか、若いしね、自由にできるよね。続く言葉はみんな大体同じで、こいつ人生を舐めていると思ったのかもしれない。まあ実際のところ舐めている。
だけど、大人たちに言ったって聞いてくれると思えなかったのだ。
「作詞家になりたい」だの「言葉でお金を稼ぐ人になりたい」だの。
だって彼らは社会人の枠で生きてきていて、そこからすると枠外だ。枠外は嫌われやすい。真面目に親切に、人生設計について伝える必要は無いのだ。
今がチャンスだと思ったのだ。細かくは書けない周囲の環境や自分の心境をマルっと鑑みて、社会人として生きていく選択肢を捨てるチャンスは今しかないと思った。多分あと3年すれば、もっと大人になってしまう。微妙な顔で曖昧に笑っていた大人と同じになってしまう。
それだけは嫌だった。貧乏でも、買いたいものが中々買えなくても、それでも、自分の好きなものに嘘をつきたくない。
言葉が好きだ。作詞が、エッセイが好きだ。自分の気持ちを紙に書いたり、キーボードを叩いたり、そうやって紡がれる文字の数々がたまらなく愛おしい。
この瞬間だけ、自分が自分だと思える。
だったらもう、そうやって生きるしかないんだ、多分。
悲しいことに、作詞していること、ポエムを書いて投稿していることを話すことについて未だに抵抗がある。もう10年以上前、友人たちに笑われたことが忘れられない。心も体も育ったはずなのに、嫌われることはやっぱり怖いのだ。
こんなに好きなのに言葉にできない。宣言できない。本当は、もっと自慢したいのだ。
じゃあ、結果を引き連れるしかない。誰にもなんにも言わなくても、こうやって自分を表現して、その副産物としてお金をもらえているのだと、誰にも文句をつけさせないように、結果を示すほかない。
極端だろうか。よく友人に突拍子もなさを驚かれるが、自分ではごく自然な思考回路なのでよくわからない。行動するしか、認められる手段を知らないのだ。
認められたい。世界に、見つけられたい。見つけられた結果どうしようもなくちっぽけだったとしても、ちっぽけな自分で出せる限りの声をあげていきたいと、飽きもせず思うのだ。
フリーターになった。正確に言うと、作詞家として生きていく準備を始めた。
音に乗せるのが恥ずかしいくらいのあの日の夢を、いい加減叶えるために。