らしく。

作詞をしています。

少し前のこと

仕事を頑張れなかった時期がある。

その頃のインスタの投稿なんてひどいもんだ。悲観していて、ずっと泣いていて、とにかく絶望している。

その中で、それでも懸命に生きた。


ちょうど1年と少し経つ。


よく生きたな。贔屓目も忖度もなしに思う。あのヘドロみたいな地獄の中、よく生きた。

自分の心理状態は全て言語化するとなにせ悲惨だったので、詳しく誰にも話した事がなかった。何ヶ月か前、きっかけは忘れたが友人とその話になった。友人は(私が知る限り)心の病院に通ったことはない。


「駅がなぁ、怖かってん。ホームが怖かった」

「なんで?」

「電車くるやん」

「うん」

「フラって飛び込んでまいそうで怖かってん」


絶句させてしまった。そこそこ付き合いが長いが、初めてだったと思う。

言わない方がよかったかな、と思ったが、口から出ていった言葉はもう管轄下におけない。リードの端っこだけこちらに残してふよふよ勝手に飛んでいってしまうので、そのままにした。


一度誰かに話してしまえば2回も3回も同じことだ。求められないから話さなくとも、自分の中で何度も噛み砕いた。

あの頃、死にたかったんだな。


あの頃、死にたかった。

自分のしたいことをするように求められる風潮の中、死ぬことだけは自分の思うようになかなか行かない。

当時もし電車に飛び込んででもいれば、自分自身に非難が来ただろう。ヒト様に迷惑かけやがって、と。

それが怖かった。

死ぬ事じゃない。人に迷惑をかけることが怖かった。人間社会で生きている。

死ぬことも多分、少し怖かった。でも当時の自分の感覚の中で、死ぬために体に与えられる痛みや苦痛より、当時心をずっと蝕んでいた苦しみの方が強いと思っていた。そして恐らく、ある程度間違っちゃいない。

通勤電車も筋トレもランチも泣きながらこなしていた。異常だ。

苦しかった。希望はなくて、辛くて、苦しくて、一人だった。世界が大嫌いで、それより自分が嫌いで、だけど、泣いてることに誰かに気付いて欲しかった。


何回考え直しても、自分が何故生き延びられたのかはわからない。

絶望に陥る少し前から始めた筋トレのお陰かもしれない。

会社で週に一回外のランチに連れていってくれた同僚のおかげかもしれない。彼女達の前ではいつもニコニコしていたから、こんな地獄の中にいたなんて知らないかもしれないけれど、それがよかったのだ。きっと。

いよいよ体にも症状が出始めた時、気分転換の休暇を取れたのも良かったかもしれない。転職のためだったが、4日ほど当時の仕事から離れられた。


ひっくるめて、運が良かった。

何かが少し違えば、今こうして文章も書けていなかったと思う。


よく生きたね。

よく、頑張った。


一年前の私に心からの感謝と賛辞を。

リセットボタン

人間関係リセット症候群、と呼ばれるものがあるらしい。

詳しくは知らないけれど、多分該当する。


広く交友関係を作るのが苦手だ。広く浅くも、広く深くも、同じだけ心を重たくさせる。ただまぁ、なんというか、普段はとにかくヘラヘラしてる奴なのだ、こう見えて。ムードメーカーなんて言われる。陽キャコミュ力お化け、人懐っこい、etc。なもんで、気付けば自分が思うより自分と話したことのある人、関わったことのある人が増えていたりする。

重たい。

その重荷に耐えきれなくなって、ある日突然連絡先を変えたりする。あるいは、一切返事をしなくなったりする。

だってもう、持てないのだ。その重さは持てない。


開けっぴろげに、初対面の人と臆さず話す質だから、隠し事なんてないんだろうと思われたりする。悩み事や妬み嫉みなんてきっとしないんだろうと。

勘弁してくれ。聖人君子じゃないんだからさ。

だけど、長年の集団生活で「いつも笑顔の人見知り知らずな陽キャ」に求められている解答が骨の髄まで染みている。自分の順応性が悲しい。

だから、弱音を吐く相手は割合慎重に選んでいる。つもり。愚痴は言っても弱音は吐かない。


そんなこんなしてると、求められている姿でいる必要のある、広い交友関係がより一層重たくなる。はいはい、ニコニコしてればいいんでしょ。ちょっと卑屈にもなる。


そしたらもう、手放してしまうのだ。

自分に必要で相手にも必要なら、きっとまた縁が繋がる。なんて、都合のいい綺麗事で、相手の気持ちは全部置き去りにして。


過去に二度程、重たくて苦しい対人関係に耐えかねて手放した。


今更になって、そういやどうしてんだろ、とフと思うことがある。その度に自分が自分を責め立てる。


「なんでみんなからの連絡絶ったんだよ。連絡先変えたんだよ。学生時代の友達なんて、代わりのきかないものじゃんか」


うるさい。


多分、今なんとなく恋しさを感じるのは、手元にないからだ。失ったから寂しいと思う。

だって、彼ら彼女らとの交友があった時、あんなに辛かった。みんなのことが大好きで大好きで、大嫌いで大嫌いで大嫌いだった。


そうやって過去の自分を責める度、でも自分は自分だから、辛さも苦しさも全部わかってしまって、結局過去の自分を抱きしめるのだ。

うん、苦しかったよ。あの時はあれが最善だった。


だからって極端だよ、と言われることもある。一理ある。

でも少なくとも、過去の選択も今の寂しさも、全部自分で選びとったものだ。重いものを背負う責任も、手放して空いた背中を刺される責任も、全部自分にある。


この全てを理解できない人に、とてもじゃないが「人間関係リセット症候群」なんて呼ばれたくない。

放っておけよ、責任はこっちだ。


じゃないと、次はあなたとの繋がりが私にとっての重荷になってしまう。

東京

東京に住んでいたことがある。

2年と少し。新宿、渋谷、錦糸町、東京駅に行きやすい場所で、いい立地だったと思う。


東京に住んでいてよかったと思うことはいくつかあって、中でも、変な恐れや過度な憧れが無くなったことは特に大きい。

生まれ育った街は、日本のほとんどの他の街と同じように、東京と比べると田舎だ。急行電車は30分に一本、見かける子供より老人の数が多く、商店街はどこか陰気臭い。

首都東京。修学旅行では行かず、東京タワーもスカイツリーも見たことがなかった。通天閣の方がデカいんちゃうん。朝のニュースで特集される新作スイーツはどれもどこか奇抜で、家の近くのケーキ屋で買えるショートケーキ程美味しそうには見えない。

言葉にできない嫌悪感に似たものは、言い換えると底知れない憧れだった。

まだ見ぬ、人が溢れるコンクリートジャングルへの憧れ。平成のトウキョウドリームだったと思う。


現実は、なんてことない。東京も他の多くの街と変わらない、ただの街だった。住んでいる人がいて、その人たちの為の店があって、学校があって、バスが走っている。

朝の決まった時間に家を出て、駅に向かって、乗り換えたりする。道の途中にポコンと口を開けている小さな地下鉄の出口から、一定の間隔でたくさんの人が吐き出されて、それぞれ四角いビルにまた吸い込まれる。


なんてことない、田舎よりよっぽど規則的で同調的な、息苦しい街だった。


同時に人が多くて、その分村人Aになれた。心の底から個性的な人が溢れているから、誰もこちらなんて見やしないのだ。

同調的かどうかは、多分、生き方で決められた。私は、同調的だった。息苦しい毎日を選択していたのは、私だ。


東京は巨大で、色々な顔を持つ街だった。スカイツリーは色んなところからすぐに見つけられた。奇抜な見た目のスイーツは、中身はショートケーキとよく似た、だけど色んなものが混ざりあった美味しさがあった。


またいつか、あの街に住みたい。

終点

仕事の都合でよく乗る電車は、終点まで行く。

そこからどこにも接続しない、本当に終点だ。乗り換えればまた別の所へは行けるけど、正直汎用性の低い路線なので乗り換える人は限られる。


この駅を降りる時のアナウンスがなんだか大好きなのだ。

【この電車は、この駅まで。どちらへも参りません。】


疲れから来る微睡みも、ぼんやり外を眺めていた夢見心地も、仕事のことで埋まっていた脳内も、一度フッ、と呼び覚まされる。

ここから先は、行っては行けない場所なんだと。

実際、アナウンスの続きは

【この電車は車庫へ入ります。】

なので、一般人は行けない場所だ。

その事を、【どちらへも参りません】と表現することが酷く美しいと思った。どこにも、行けないのだ。


祖父の体調が思わしくない。

数年前から患っていたが、急に、ほんとうに突然ガクンと悪くなった。身近で見ていた母も、近所の方も驚いていた。何も知らなかった身分として、驚くよりも戸惑った。

喪服持ってたっけ。


入院する前に会わないともう会えないかもしれないと言われて、2年間ずっと我慢していたのが馬鹿らしいほど早急に祖父に会いに行った。

もう自分では何も出来ない祖父は、それでも私を瞳に映すと一筋、涙を零した。

仕事の話、一人で祖父の家に来たことがなかったから道に迷った話、会いに来れなかった謝罪。そんなことを一方的に話している間、前日は丸一日眠りこけていたという祖父は、ずっと目を開けてこっちを見てくれていた。

緑内障で濁った白目で、それでも、残っている元の色の黒目で、見つめていた。


病気のため体が痛む祖父は、緩和ケアの病棟に入院するのだと言う。


祖父の終着駅はもう見えているんだろうな、と思う。あとはもう、その辿り着く場所まで、どのくらい時間をかけて、どうやって到着するかだろう。


祖父の魂は、どこへ行くのだろうか。

あるいは、どこへも行かないのだろうか。


あなたの行く道はここまでですと目の前に示された時、せめて美しく、どちらへも参りませんと伝えられる人になりたい。


枕元から色んな人に話しかけられる祖父を見て、ぼんやりそんなことを思った。

ホットケーキ

ホットケーキが食べたい。

 

年に数回訪れる衝動が、少し強めに先週やってきた。

多少の衝動であれば我慢をして、いわゆるパンケーキやスイーツを友達と食べに行ったりする。

だけど、本当に食べたいのはパンケーキではない。

ホットケーキだ。

 

生クリームはいらない。口に入れた瞬間なくなるような柔らかさも、泡のように蕩ける感覚も違う。フワフワしていて、けれどナイフで切ろうと思うと少し時間がかかるような、そんな、ホットケーキ。

ずっと昔、たまの贅沢で母がホットプレートいっぱいに何枚も焼いていたような、バターじゃなくてマーガリンの匂いがする、ホットケーキがいい。

 

想像したらたまらなくなったので、買い物に出かけた。

 

必要なものは卵、牛乳、ホットケーキミックス、バターは多分高いからマーガリン。

メープルシロップで食べるのもいいけれど、ピンと閃いた。

あ、海外の朝食みたいに食べたい。カリカリのベーコンと半熟の目玉焼きを添えて、真っ白いお皿に盛りつけたい。

買い物リストに、ベーコンを追加した。

 

卵の安いスーパーに行くと、入り口でバナナが安売りされていた。

チョコソースとバナナで、チョコバナナなんてどうだろう。カゴにバナナを入れた。

ほかの買い物も含めてエコバック二つ分になった。重たかった。

 

ホットケーキミックスは、大体150~200gが3袋くらい入ったものが売られている。

一袋で4枚分らしい。1枚当たりの大きさは正確にはわからないけれど、多分、子供が目の前にしてワクワクするくらいだろう。

心当たりのある人も多いかもしれないのだが、ホットケーキミックスは気を抜くとパントリーの住人として長老、あるいはミイラになってしまう。買ってから半年、一年後にあ、そういえばと何かのタイミングで発掘し、その頃には賞味期限が切れてしまって落ち込む、というあれだ。

 

じゃあ、全部使うか。

 

家にあるボウルはそんなに大きくないので、まずは一袋分の生地を作った。

卵と牛乳をまず混ぜてから、こぼさないようにホットケーキミックスを入れる。カシャカシャ混ぜて、ダマがなくなるまで頑張って、トロっとしたら完成。

マーガリンを落として温めたフライパンを、濡れ布巾の上に一度置いて少し温度を下げて、お玉で生地を流し込む。

フライパンの上に小さい丸が3つ程現れたところで、これならあと二袋分の生地も一気に作れるなと確信した。

第一陣が黒焦げにならないよう様子を見ながら、卵を割って、牛乳を入れて、混ぜて、ホットケーキミックスを入れて、また混ぜて、今度は一回目より少し頑張ってダマをなくした。

 

あとはもう繰り返しの作業である。

マーガリン、濡れ布巾、生地、フライ返しでひっくり返して、両面焼いて、お皿に乗せる。

 

気付けば、好きな音楽に乗せてずっとホットケーキを焼いていた。3袋分、一時間、ホットケーキを焼くとどうなるであろうか。

 

ホットケーキタワーができた。

 

最後の一枚をてっぺんに乗せた瞬間、ちょっと近年にない種類の達成感と喜びが体を巡った。

忘れていた幼い日の夢を一つ叶えた気がした。

 

明日の朝ご飯は、カリカリに焼いたベーコンと、半熟の目玉焼きと、それから、ホットケーキタワーから何枚か食べよう。

 

大人になったから、ホットケーキを何枚食べたって怒られないのだ。

辛いと甘い。

ランチに中華料理を食べに行った。


実は辛いものに滅法目がない。

そもそも美味しいものに目がないのだが、その中で特に辛いものだ。生半可では物足りない。食べた後に呼吸をすると外気の冷たさで口内の辛味を再度味わえる様な、湯気を吸い込むだけで咳き込むような、あの刺激が堪らない。


とはいえ、大前提として美味しいものが好きだ。


今日は二択だった。

牛タンの定食か、中華料理か。

白米を食べたい気持ちも大いにあって3回くらい揺らいだが、窓から見える景色は中華料理屋の方がいい気がしたので、中華料理屋にした。


中華料理屋で選べた定食は6種類。

辛そうなのは坦々麺と、店の屋号を冠したラーメン、後は麻婆豆腐。

店の屋号ラーメンは写真からして汁が赤く、所謂台湾ラーメン系だった。ひき肉、ニラ、モヤシの入った、サラッとしたスープ。

坦々麺は「激辛」を推していない限り辛くないことは経験値で知っていたので早々に除外した。


さて、麻婆豆腐か、屋号ラーメンか。


悩んだ挙句、プロに聞くことにした。

プロ、即ち店員さんである。


辛いですか?と聞くと、いやそんなに…と若干申し訳ない顔をされた。人によって感じ方が違うけど、と前置きの上で、からーい!とはならないらしい。

そうなのか…であれば普通に酢豚にしようかな(美味しそうだった)

と、少し悩んだところに、ぶっきらぼうな雰囲気の店員さんが付け加えてくれた。

「でも、辛いの食べたい!って時はこのラーメンですね」

「じゃあこれで」


結論から話そう。

辛くなかった。


体の芯がじわーんと暖まる様な辛味はあったが、麺は啜れたしスープも飲めた。胃の容量として飲めないので飲まなかったが。

だが美味しかった。火鍋というか、香味鍋のスープのような、ごま油のいい匂いがした。具の野菜もシャキシャキで美味しかった。

今度は、辛いラーメン目当てではなく、他のメニュー目当てに行きたい店である。


このお店では余談が2つある。


ひとつはデザートだ。

屋号ラーメンは定食だったので、黄色いプリンのようなデザートがついていた。固めのカスタードプリンにも、マンゴープリンにも思える見た目だった。

一口すくって、どっちかなぁ、どっちだろう、とワクワクしながらそぉっと食べる。

マンゴープリンだった。

この瞬間の、この喜びが伝わるだろうか。

マンガなら周りに小さい花がふよふよ浮いていたと思う。マンゴー、すごい。

繊維が見えるくらいちゃんとしたマンゴープリンで、あんまりに美味しかったので容器にくっついた所までスプーンでチマチマ掬って食べた。

そのチマチマ作業をしているところに、愛想のいい爽やかな店員さんがお水を注ぎに来てくれてちょっと恥ずかしかった。


余談のもうひとつは帰る前だ。

荷物をまとめて立ち上がると、近くにいた店員さんがありがとうございました、と声をかけてくれた。辛さについて教えてくれた店員さんだった。

「辛さ大丈夫でしたか?」

素直に答えた。

「全然辛くなかったです」

店員さんは笑っていた。でも美味しかったです、ともちゃんと伝えれたので、嫌な客にはならなくて済んだはずだ。


いいランチだった。

掃除

部屋の掃除をした。

 

一人暮らしなもので、部屋の掃除と言えば家の掃除を意味する。

風呂場は毎日入るタイミングで掃除しているため除外として、洗面所から廊下、キッチン、トイレ、リビング。二週に一度は全体を掃除する習慣を作ったので、毎度そこまで汚れてはいない。家全体をピカピカにするのに30分で事足りるのだ。

 

せっかくなので、全ての工程をざっくり書いてみようか。

まずは洗面所の水気を拭いて、その流れで洗面台全体をざっと拭く。朝一番に洗面所を使うので、ここは必然水気がまだ残っていることが多いのだ。

そのタオルと、そのほか前日に出た洗濯物を放り込んで洗濯機を回す。

その次は食器洗いだ。一日に使う食器の量なんてたかが知れているので、こちらもサクサク終わらせる。ついでにコンロの周りを濡れ布巾で拭いて汚れを取って、冷蔵庫を除いて作り置きおかずの状態をチェック。傷んでいたらごめんなさい、とつぶやきながらゴミ箱に捨てる。

 

なんだかひどく所帯じみてきた。

 

次は居室。典型的な1Kに住んでいるので、リビングルームダイニングルームはいっしょくただ。

抱き枕や枕、クッションたちにこれでもかとファブリーズを振りかけて、ベランダで天日干しにする。布団を除けてすのこベッドを三角形にしたら、その上にもう一度布団をかけて、毛布も掛ける。

ついでに、今の時期は少し肌寒いが、窓を開ける。埃が舞うので。

 

ここで一度居室を離れて、トイレに向かう。トイレは、最も気合を入れて掃除をする場所といっても過言ではない。

とはいえ、やることは一般的なそれである。トイレブラシで便器を擦って、拭き取りペーパーで全体を拭いて、全部を水に流して、最後に汚れ防止のスタンプをぽん。

だが、一つ一つの所作に対しての気合の入れ方が全く違う。これには二つ理由がある。

一つは、急な来客があった際、トイレを貸せる状況にしておきたいからだ。

部屋の隅のちょっとした埃や台所の水垢には目を瞑っても、トイレの汚れってなんとなく生理的嫌悪感が大きい気がする。

もう一つは、女神様みたいにきれいになりたいからだ。

もう一昔ほど前になるのか。少し長くて、それでいて絶妙にキャッチ―な、けれどすべてを聞けばそのストーリーに涙が一筋流れるような、あの歌が流行したのは。

郷里の方言を用いていることもあり、あの歌は聞いた時から肌に馴染んでいた。だからいつも、便器をピカピカに磨きながら、女神さんみたいにべっぴんさんになれますようにと、小さな祈りを捧げている。毎日ではなくて、ごめんなさい。

 

さて、トイレが終わればフィニッシュが近づく。

居室に戻って、ふわふわした棒を取り出す。テレビ台や本棚を撫でると埃が取れるのだ。

ひとしきり終われば、簡易モップにシートを取り付けて、部屋の端っこからなぞっていく。ベッドの下、諸々を収納しているカートも動かして、クローゼットの扉も開ける。

いつも使っている机は折りたたんで端っこに置いて、座椅子も移動させて、床全体をさっぱりさせる。

このころになると髪の毛のせいで簡易モップが結構悲惨な見た目になることが多い。シートをはずして、裏返しにして再度装着。貧乏性だ。

廊下を拭く道すがら、トイレの扉も開ける。基本的には一つ前の段階で綺麗にしているのだが、床拭きは居室と同じタイミングで行うのだ。

キッチンの廊下、洗面所もモップを滑らせる。何度も言うが、髪の毛がすごい量拭き取れる。これでよく頭頂部がピカピカ光らないものだと、少し感心する。

 

シートをゴミ袋に入れて、そのほかのゴミと一緒にまとめて口を結んで、玄関先に仮置き。

その頃には洗濯物ができているので、天日干ししていたクッションたちと場所を交代させる。枕なんかは引き続き三角形のすのこベッドの上で風を通させて、クッションは座椅子や机と一緒に元の位置に置く。

 

座りたくなる衝動をこらえてゴミを捨てに行って、戻ってきたら手洗いをした後ケトルでお湯を沸かして、好きなお茶を淹れる。

ここまでが、掃除の工程だ。

かなり所帯じみている。

 

 

掃除をすると運気が上がる、という人がいる。

スピリチュアルなことはわからないし、掃除をしたから宝くじが当たったことはまだない。

けれど、ひんやりした風が吹き込んだり、小ざっぱりしたような床を見たり、汚れ一つないトイレがあると、ちょっといい気持ちにはなる。

 

掃除をするのは大抵週末だが、それすらも億劫な時がある。余裕のない平日を過ごした時だ。

忙しない日々を送っていると、目に見えて部屋が荒れるのだ。

出しっぱなしの本、畳んだままの洗濯物、コードを繋いだだけのモバイルバッテリー。

 

ちょっとだけ、ほんの少しだけ、頑張ってみようかと思えた週末には、そうやって部屋を荒らしている物たちを元の場所に返してやる作業も行う。

本は本棚に、服はチェストに、バッテリーは持ち歩くポーチに。

そうして、ついでに自分のことも整頓していく。

人間関係とか、将来の悩みとか、今欲しい物とか。

綺麗な部屋を見てちょっといい気持になったのに加えて、ちょっと何かが軽くなる。気がする。

 

そしたら翌日の日曜日は、新しい小説でも探しに行ってみようかしら、なんて思ったりできるのだ。

その帰り道に、こうやってブログを書くこともできる。

なるほどどうして、運気が上がってもおかしくはないかもしれない。