らしく。

作詞をしています。

リセットボタン

人間関係リセット症候群、と呼ばれるものがあるらしい。

詳しくは知らないけれど、多分該当する。


広く交友関係を作るのが苦手だ。広く浅くも、広く深くも、同じだけ心を重たくさせる。ただまぁ、なんというか、普段はとにかくヘラヘラしてる奴なのだ、こう見えて。ムードメーカーなんて言われる。陽キャコミュ力お化け、人懐っこい、etc。なもんで、気付けば自分が思うより自分と話したことのある人、関わったことのある人が増えていたりする。

重たい。

その重荷に耐えきれなくなって、ある日突然連絡先を変えたりする。あるいは、一切返事をしなくなったりする。

だってもう、持てないのだ。その重さは持てない。


開けっぴろげに、初対面の人と臆さず話す質だから、隠し事なんてないんだろうと思われたりする。悩み事や妬み嫉みなんてきっとしないんだろうと。

勘弁してくれ。聖人君子じゃないんだからさ。

だけど、長年の集団生活で「いつも笑顔の人見知り知らずな陽キャ」に求められている解答が骨の髄まで染みている。自分の順応性が悲しい。

だから、弱音を吐く相手は割合慎重に選んでいる。つもり。愚痴は言っても弱音は吐かない。


そんなこんなしてると、求められている姿でいる必要のある、広い交友関係がより一層重たくなる。はいはい、ニコニコしてればいいんでしょ。ちょっと卑屈にもなる。


そしたらもう、手放してしまうのだ。

自分に必要で相手にも必要なら、きっとまた縁が繋がる。なんて、都合のいい綺麗事で、相手の気持ちは全部置き去りにして。


過去に二度程、重たくて苦しい対人関係に耐えかねて手放した。


今更になって、そういやどうしてんだろ、とフと思うことがある。その度に自分が自分を責め立てる。


「なんでみんなからの連絡絶ったんだよ。連絡先変えたんだよ。学生時代の友達なんて、代わりのきかないものじゃんか」


うるさい。


多分、今なんとなく恋しさを感じるのは、手元にないからだ。失ったから寂しいと思う。

だって、彼ら彼女らとの交友があった時、あんなに辛かった。みんなのことが大好きで大好きで、大嫌いで大嫌いで大嫌いだった。


そうやって過去の自分を責める度、でも自分は自分だから、辛さも苦しさも全部わかってしまって、結局過去の自分を抱きしめるのだ。

うん、苦しかったよ。あの時はあれが最善だった。


だからって極端だよ、と言われることもある。一理ある。

でも少なくとも、過去の選択も今の寂しさも、全部自分で選びとったものだ。重いものを背負う責任も、手放して空いた背中を刺される責任も、全部自分にある。


この全てを理解できない人に、とてもじゃないが「人間関係リセット症候群」なんて呼ばれたくない。

放っておけよ、責任はこっちだ。


じゃないと、次はあなたとの繋がりが私にとっての重荷になってしまう。