らしく。

作詞をしています。

パン屋さん

駅の改札の中のパン屋って、なんであんなに美味しそうなんだろう。


パン屋に限らない。

アップルパイ、ワッフル、わらび餅、エッグタルト、大学芋。

行き慣れたショッピングモールや家の近くの大通りでも同じものを見かけるくせに、それが改札の中に現れるだけでやたら魅力的だ。


ことパン屋について、本当に美味しそうだ。

そもそもパンをあまり食べないし、家にはまだ食パンが残っていても、バゲットや、デニッシュなんて買って帰ろうかと思考が過ぎる。クロワッサンなんて最高じゃないか。

楽しい思考だ。小さな贅沢をしているような、誰にもバレないイタズラを成功させたような、ほんの少しの背徳感と満足感。


多分これは、小さかった時の思い出に少し似ている。感覚も、匂いも。

帰り道の商店街にある路面店のパン屋は、古いけれどそれだけ地域に根ざしていた。地元の人は誰しもその名前を知っていたし、あの店でしか見た事のない菓子パンはちょっと自慢出来る。焼きそばパンと1口サイズのミニパンが好きだった。


思春期は腹が減る。母の愛が籠った弁当を食べて尚且つ合間におにぎりやお菓子を摘んでも、部活帰りの夕方はいつも腹ぺこだった。

そして中学生、お金はない。

100円くらいなら友人みんなのポケットから捻り出せても、そもそも校則で買い食いが禁止されていた。(今思うとそれなりに酷だと思う)


買ってはいけない、そもそも大して買えない、けれど腹は減る。絞り出した知恵は、「食パンの耳を貰うこと」だった。

サンドイッチに使われた食パンの、切り落とされた耳がある。油で揚げて砂糖をまぶしたものは店頭で商品として売られるが、そこそこレアな商品だった。

そして、揚げていない状態の耳は、お店で頼めばポリ袋にいっぱい詰めてタダで分けてくれる。公然の秘密は、どこからともなく伝えられていた。途切れることなく、先輩から後輩へ、友人から友人へ。


もらった耳は家に着くまでに食べ切る必要があるから、いつも複数人で分け合っていた。空っぽになったポリ袋は持って帰ると怒られるので、帰り道のコンビニでこっそり捨てる。

家に帰って何食わぬ顔で夕飯を平らげるまでがミッションだった。


これ以上ない贅沢だった。そして、10代特有の背徳感があった。

パン屋の近くは、いつもバターの匂いと甘い匂いがする。アンパンマンを模したパンは、今思うと中身がカスタードだった。なんでだろう。


ある時から耳を分けてはいけないことになったらしい。色々問題があったんだろう。

遥か年下の後輩たちは、どうやってあの空腹を凌いでいるのか心配だ。