らしく。

作詞をしています。

三人称

何故恋人や夫婦という関係性を持つのか、という質問に、第三者が存在するからと答えている人がいて、なるほどと膝を打った。ひと月ほど前のことだ。

確かに牽制とか宣言とか、果たす役割は色々ある。


なんせ、人は一人では生きられないんだなと思う毎日だ。


と、同時に、他人と触れ合う度に心をすり減らせる自分は偽りようがなく、一人きりになれれば楽なのにと思ってしまう。


他人に期待をしないことにした、と友人に話した時、そこはコミュニケーションを頑張るべきところじゃないのかと返された。

一理どころか一つの真理だと思う。この返答は言い方を変えて、色んな人や本から返ってきた。


けれどそれで頑張ったところで、誰も傷付いた心を癒してくれる訳では無いのだ。

これも一つの真理だと、信じている。

友人に話して気持ちを切り替えても、本の世界に沈み込んで新たな気づきを得ても、一度ついた傷は消えない。かさぶたが剥がれてもそれは跡が薄れただけで、傷ついたことは何も変わらない。


こちらの事情は相手には関係ないからと努力をした所で、相手も同等の努力をしてくれるわけはないのだ。

そしてまた、相手に同等の努力を求めることさえも、こちらの勝手な期待であり、相手には関係ない。


誰かと時間を共にするだけでこんなに傷ついてバカみたいだ。

一人で生きて行ければいいのに、今日も冷たい手で誰かを求めてしまう。