らしく。

作詞をしています。

歩く時

混雑した駅を歩く時、ことさらゆっくり歩くようにしている。

周りの人に何回追い抜かれても、自分一人だけ世界の速度が違う気がしても、なにも焦らずに。


これには単純な理由があって、人にぶつかることを避けたいからだ。

急ぐことがそもそも嫌いなので、行動にはいつも余裕を持つようにしている。それでも年に2回ほど、人しかいないターミナル駅を、体を右に左に捻りながら走らないといけない瞬間が出てきたりする。(ちなみち、そんな日に限って大体走りにくい靴を履いている)


そうするとどうなるか。人にぶつかる。


こちらは急いでいるので、避けるための急転換が難しいことが多い。正面から同じく急いだ人が来た時なんて最悪だ。2人して急には止まれないので、お互い被害を最小限にしようと全力の努力をする。結果、顔面からの正面衝突は避けられても、肩やカバン、腕くらいは高確率でぶつかる。それさえも避けようとすれば転ぶか、他の誰かにぶつかる。


要するに、痛い。


体も痛いし、お気に入りのカバンが人にぶつかるとカバンが心配になる。明らかに急いでる私を特に避けもしない(避けるための動きができない)その他大勢に勝手に苛立ち、後で心も痛む。


さて、ゆっくり歩くとどうなるか。


簡単である。人を避けやすい。

年に2回ほどの私のように切羽詰まって前から人が来たとして、静かに一歩右に避けて道を作れる。人と人が複雑に入り組んで歩いている広場も、自分がゆっくり歩くので周りの人が勝手に避けてくれるのだ。

ゆっくり歩くことは他者と近づくまでに時間を持てるということで、私にも相手にも余裕を産む。

手元ばかり見ている人も、ぶつかるより前に気づいて避けてくれたり(くれなかったり)する。


あとは、ちょっとした物に目がいったりする。

ショーケースのデコレーションの華やかさや、すれ違った人のアイメイクの美しさ、サラリーマンのネクタイの変な模様とか、大学生らしい男の子のオシャレなスニーカーなんか。

案外楽しいもんである。



急ぐ人には先に行かせたらいい。

自分が痛くない方法で、ゆっくり歩こうぜ。

楽しいよ。